2014年3月17日月曜日

キミは、長く働くか、猛烈に働くか、それとも賢明に働くか?



長い時間働くこともできるし、猛烈に働くこともできる。賢明に働くこともできる。

ただしアマゾンでは、この三つからふたつを選ぶことはできない

photo credit: Caden Crawford via photopin cc


三つからふたつを選ぶことはできない



この前オフィスで @satoshimmyo がアマゾン・ドット・コムの創業者ジェフ・ベゾスのノンフィクション「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」を読んで、「この文章の意味がわからないんだけどどう思う?」と聞いてきた。



ロンドン出身のデービスは、ジェフが説く教えになぜか心酔しなかった。仕事第一主義にも疑いの目を向けたし、社員の士気高揚をはかる言葉をベゾスがそっと変えたことにも気づいていた。ベルビューにいたころのベゾスは「長い時間働くことも猛烈に働くことも、賢明に働くこともできるが、アマゾン・ドット・コムでは、この三つからふたつを選ばなければならない」と、カファンとデービスに語っていた。それがいつのまにか、「長い時間働くこともできるし、猛烈に働くこともできる。賢明に働くこともできる。ただしアマゾンでは、この三つからふたつを選ぶことはできない」と繰り返すようになっていた。

文脈的に、デービスはジェフ・ベゾスが激しく仕事をさせるのに共感できなかったという話なのに、なぜ最初は2つを選び、後からそれが1つになるのだろう、と。

最初見た時は僕もよくわからなかったのだが、しばらくしてふと気づいた。

「ふたつを選ぶことはできない」というのは、1つを選ぶではなく、no choice、つまり3つともやれ、ということか、と。

「長い時間、猛烈に、かつ、賢明に働け」

いやー、厳しいね。

僕はまだ同書を読んでいないので正確なニュアンスはわからないけれど、Amazonの書評に「情け容赦なく、社員を酷使し、使い捨て、小さい会社を汚いやり方で、叩き潰すなど、非道で、残酷な経営」と書かれていたので、かなり従業員に厳しい経営者だったのだろう。

これを社内で僕が言い出したら人はついてきてくれるのだろうか(笑)
(お前はやれるのか、というブーメランも返ってきそう)

一方で、別の機会に、起業準備中の知人と話していた際に、誰と起業するかという話になった。

その中で、0から1を作り出すフェーズはめちゃくちゃしんどいので、「長い時間、猛烈に、かつ賢明に働ける人とやるべき」と引用している自分がいた(笑)

こういう働き方をずっと続けていける人というのはそれほどたくさんいないと思うが、半年から1年くらいやれる力がないと、起業ってしんどいよねとは思う。

(それくらい事業の立ち上げは大変という点と、創業者のテンションが揃っていないと組織が壊れるという2つの点で、大事なことだと思う。)

思い返して見れば、前職で忙しかった時期や、起業前後の頃は、3つとも追い求める働き方をしていた。

サステイナブルな企業文化を作ろうとしたら「3つともやれ」と言い続けることは中々言えないけど、一方で、成長しないと死んでしまうベンチャーにとって、2つ、少なくとも1つはどのメンバーも実現してほしいとも思う。

実現というよりも、姿勢とか、覚悟を持つ言ったほうがいいのかな。

だって、さすがに、働く時間は短く、猛烈にも働かず、賢明にもなれない人は、ベンチャーにはいらないだろう(笑)

(っていうか、こういう言い方をするとベンチャーに限らないな(笑))


長く/猛烈に/賢明に働くとは?



さて、ここまで書いたところで、「長く働く」「猛烈に働く」「賢明に働く」って一体何なんだろうと考えてみる。

長く働く」とは文字通り長く働くことだろうが、必ずしもオフィスで実務をしている時間だけではないと思う。

朝や深夜、週末に勉強することは「長く働く」に含めていいんじゃないかな。

あるいは、手を動かさずとも、人と話したり、モノを考えている時間においても、常に仕事のことを考えている状態に身をおくことも含めての「長く働く」。

身も心もどっぷり浸かって努力している状態と言うのがよいかもしれない。

猛烈に働く」とは「長く働く」との違いがわかりにくいが、あえて違う言い方をすれば、規律を持って、圧倒的な集中力を発揮するスタイルといったところだろうか。

集中力がもたらす仕事のスピード及び安定感、みたいなものが要素としては重要な点かもしれない。

規律と集中力という言い方をする以上、遅刻や体調不良を度々起こす人はこのスタイルができていると言っちゃいけないのかもね。

長く働くスタイルが好きではないならば、時間や体調管理にも気をつけて日々を生きるのがプロフェッショナルというものだろう。

そして最後の「賢明に働く」とは、短時間に効果的に成果を出すこと、と言った感じかな。

もう少し具体的に言えば、インパクトがあること、レバレッジが効くこと、他の人ができないことを短時間で実現することだろうか。

これは、余程の天賦の才能でも無い限りは、「ある程度の才能+長く/猛烈に働く経験」の先にあるもののような気がするね。

賢明に働く力がある人には、誰よりも会社のビジョンへの理解や目標数値へのコミットをしてもらって、出すべき方向にインパクトを出してもらいたいものだ。

あるいは、フリーランスで働く人は、本質的には賢明に働く技術を持ち合わせていないと、結構キツイかもね。
何社と仕事を掛け持つほど成果を出しにくくなるのが常なので。

もともとジェフ・ベゾスがどういう意味で言ったかはよくわからないけど、3つの働くスタイル、言い換えると成果を出すスタイルとは、こんなところだろうか。

photo credit: ptufts via photopin cc

自分はどのスタイル?


さて、自分はどのスタイルで成果を出すのだろう?

どれか1つだけを極めるといったものではないが、まずは1つのスタイルを完全にモノにするという姿勢があってよいのかもしれない。

得意なスタイルは人それぞれだし、僕自身は、組織の全員が同じ働き方をする必要はないと思っている。

例えば多くの人が長く働く会社で、短時間に成果を出してすぐに帰宅する賢明なタイプは、批判の対象になってしまうこともあるだろう。

そこはあくまでも会社の目標に照らした成果を達成しているかどうかを基準に、それぞれがそれぞれの働き方を認め合う企業文化を作りたいと思う。

(言い換えれば、成果を出しているかどうかについては厳しく見るのを基本とするということでもある)

そのためには、個人としては、成果を出すことに常に照準をあわせることと、それを実現するための自分のスタイルを意識すること、この2つが大事なんじゃないかな。

全員が、3つともできる「すごい人」にはなれない。
あるいは、最初から賢明にできるような「すごい人」はなかなかいない。

でも「すごい人」にはなれなくても、誰でも「できる人」にはなれる。

「すごい」は才能だが、「できる」は姿勢だ。

やるべきことを、自分なりのスタイルでアプローチし、成果を出す。

成果といっても、とにかく一番稼いだ人が偉いみたいな話ではない。
個々人が、やるべきことを、きちんとやればいい。

誰もが一流にはなれなくても、二流には二流の、三流には三流なりの輝き方がある。

みんながちゃんと「できる人」になる会社を作りたいなーと、最近よく考えている。

(終わり)

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