2015年6月28日日曜日

「40歳の絶望」に対する雑感

今月、40歳の誕生日を迎えた。

普段は年齢のことはあまり考えることはないのだが、それでも色々と思うことがあったので、この時の気持ちをなんとなく記しておこうと思う。

この1年ちょっと、ブログを書こうと何度もしたものの筆が進まず、とても久しぶりなエントリーになった。

なんというか、だらっと長い単なる私的な日記なのだが、この期を逃すとブログを再開するタイミングがもう来ないような気もするので。


photo credit: Despair via photopin (license)


圧倒的な現実に恐怖する40歳


先日、同い年(40歳)のある友人と話していた。

・・・今が辛い、という話だった。



素敵な奥さんと子どもたちに囲まれ、優秀な部下をもって管理職として仕事もうまくっている。
何か大きな問題があるかというと、そういうわけではない。

ただ、これまで頑張って生きてきたが、結果、変化のない日常と、何者でもない自分が残り、このまま人生の残りの半分を今の延長線上で生きていくのが辛くて仕方がない・・・

本当は複雑な事情があるのかもしれないが、聞いたことを簡単に言ってしまえばそんな話だった。

僕は楽しく40歳を迎えたし、そいつもきっと幸せに生きているのだろうと思っていたので、少なからずショックだった。


40代というのは中途半端な、難しい年齢なのだろう。

(職場だけでなく広い意味での)「働く」ということについて、それなりになんでもできるようになっていて、家でも職場でも周りから求められる存在になっている。

一定の万能感と、プレッシャー。

一方で、人生に大きな変化は(病気などの不慮の変化を除いて)ほとんど起こらなくなるのも40代だ。

仕事では、過去に想像したこともない仕事を始めたり、一発当てて金持ちになったりもしない。
プライベートも、子持ちなら子持ちの、独身なら独身の、過去の延長線上の未来が待っている可能性が高い。

何者になれるのかと悩みつつも、まだ将来を夢見る余地のある30歳と違い、40歳のそこには想像できる現実しかない。

ほとんどが、過去の延長線上。

圧倒的な夢のなさ。
薄れゆくアイデンティティへの失望。
変化の無さによる惰性と沈黙・・・

時間の流れというのはなんと残酷!

40歳になると、外形的には恵まれているように見えても、多かれ少なかれこんな絶望が襲ってくることが多いのだろう。

でもこれは、贅沢な悩み、とかではないと思う。

もっと恵まれない人はたくさんいるじゃないかという指摘は的外れだ。
悩みの大きさは他人と比べられるものではない。

自分が40年かけて何かに向かって頑張ってきたが、そこには何もなかったと感じたら、それは辛いことだろう。

ここに、身体の衰えがやってくるからたまったものじゃない。

男性の場合、社会的に現実が見えてくるこの40歳くらいのタイミングでは、既に身体の不調が出てきたり、何かと思い通りにいかなくなることが多い。
努力しないと健康ですらいられなくなる・・・。

女性の場合は、「人生への折り合い」をつけるのはひょっとするともっと早いケースが多いのかもしれない。

身体の変化もあるし、結婚・出産・キャリア・・・といった視点から人生と向き合うことになるのは男性よりも早そうだ。
40歳になるタイミングで辛いと感じるのは、より男性的なものなのかもしれない。

(起源はさておき、女性の厄年が30代に2回あり、男性の厄年が40代前半でやってくるのは、こうした社会的・身体的変化のタイミングとあっているのかもしれないな。)

さて、こんな40歳の絶望、どうやって乗り越えるのだろうか?



楽しい気分で40歳を迎えられたわけなのだが


さて、僕の話をしてみる。

誕生日で何かを思うことは比較的少なく、歳をとることにそんな感慨はないのだが、それでも前の説目だった10年ほど前を思い出してみると、僕の場合は29歳になった時はとても辛い気分だった。

28歳で起業買収ファンドの世界に足を踏み入れたのだが、何をやってもとても周りの超絶優秀な同僚にかなわない。
29歳の誕生日を迎えた頃は、このままでは辞めてもらうことになるよと人事フィードバックを受けていた。

大学時代の恩師に「30歳にスタートラインに立てるように20代を頑張れ」と言われた言葉を思い出し、このままではどうやって30歳を迎えたらいいのかと不安で仕方なかった。

ただ、そこからもがき、頑張ってなんとか自分の立ち位置を見つけ、小さいけれどそれなりに成果を出し始め、30歳になった時には気持ちよくスタートラインに立てた思いだった。

とても前向きな30歳の始まり。

結果、企業買収とその後の経営改善という、数々のヒリヒリとした緊張感のある仕事をやりぬき、オックスフォードにMBA留学をして自分の軸を醸成し、NPOを立ち上げて世界が広がり、そして起業してからの「日替わりチャレンジ」の日々を駆け抜け・・・

本当に、変化に富んだ、チャレンジだらけの30代だった。

そんな、楽しくエキサイティングな30代を過ごした僕だが、30代も残すところ1年となった39歳の誕生日は、やはり10年前と同じように、とても暗鬱な気分に包まれていた。

仕事関連の感情もないわけではないが、どちらかというと身体の不調が大きかった。

昨年は、歩けなくなるほどの腰痛が頻発した。
腰痛をかばうと今度は大腿が痛み、少し元気になったと思って運動したら膝が痛み、といった具合で、とにかく常にどこかが痛くて、運動どころか日常生活に支障を来し始めた。

運動もできないから体重もどんどん増え、さらに痛みが増す。
ラグビーを20年近くやった一方でほとんど身体のケアをしてこなかった僕は、ずっとこうやって負のスパイラルに落ちていくのだ。

そう思えて辛かった。

身体が不調だと、気持ちも後ろ向きになる。

明らかに後ろ向きな言動をしていたわけではないが、ベンチャーの社長という立場の割にはどこかパワフルに前を向いている感じでは、今振り返るとなかったように思う。

ただ、これも結果として(今のところ)乗り切って、かなり前向きに40歳をむかえられた。
何より、パーソナルトレーニングで姿勢を直すことに挑戦した結果、腰痛が出なくなったことが大きい。
(ありがとう、FiNC!)

おそるおそる運動を始めてみても痛みは出ない。
少し無理をすると痛むことはあったが、身体のバランスを整えるトレーニングを地道にしていったら、今では激しめの運動をしても痛みも出なくなった。

そうなると、どんどん新しいことにチャレンジしたくなる。
僕の場合は嫌いだった持久系のスポーツをと思い、ランニングしたりロードバイクに乗ったりし始めた。(トライアスロンやるぞ!)

ゼロから始めるものは上達が見えやすいので、精神衛生上とてもよい。
新しいことをやると、新しい友人もできる。

なんというか、かつてないほど健康な気分。
一病息災とはいったもので、痛みをなくすための食事や身体の整え方を知ったら、腰痛どころか肩こりも肌荒れも治っていき、身体からパワーがみなぎってくる感じだ(笑)

仕事面でも、どんどんと攻めの気持ちになっていくものだから、不思議なものだ。

もともと仕事は、起業してしまった以上毎日が変化でありチャレンジなので、心身健康に取り組んでいる限りは、あまり40歳の絶望には縁がない感じが今のところはしている。

(もちろん、起こせなくなった変化もたくさんあるなぁとは一方で実感しているが・・・)





変化をコントロールする


ライフネットの出口さんが、歳を取ると「リスク」がなくなる代わりに「コスト」としてとらえるようになる、というようなことをいっていた。

要は、上にも下にも人生は振れることなく、おおよそ未来が読める。
最悪なにがおきるかみたいな計算が立つから、それは振れ幅を伴うリスクという概念ではなく、失敗した時の大きさがあらかじめ計算がたつコスト的なものだと。

だから、変化すればいい、チャレンジすればいい、という話だったように思う。

変化がない未来が怖いという、40歳の絶望。

でも、過去の延長線上でもがいてもあまり変化は起きない。
かといって、思い切ったジャンプをすればいいというものではない。
向いていないのに勢い余って「脱サラ」して大失敗、なんて話は昔からのあるあるネタだろう。

要は、計算が立つかどうか。
計算が立つなら大きな変化もよいけれど、立たないんだったら、「毎日の習慣を変える」くらいの振れ幅を意識するのがちょうどよいのかもしれない。

30代までに起業を経験していれば、40歳を過ぎて起業をしても、それは計算の範囲内だ。

でもそうじゃないなら、40代ならではの責任やら体力の低下やら諸々を考えると、計算の範囲内(うまくいくという算段ではなく、失敗してもこの程度で済むという計算)を超えるなら、やらないほうが身のためなのかもしれない。

その代わり、最悪の事態の計算がたち、ちゃんと楽しめるくらいの変化、楽しめるくらいのチャレンジをどう持つか。

仕事や家庭に変化が起こしにくいなら、その外でやったらいい。
自分でやってみて思ったのは、過去にやったことがないことをやるのは精神的にとてもポジティブだということ。

ここで、変化がないことは悪いことばかりではないと気づく。
流行に流されたり他人の視線が気になったりすることが減っていくという側面があるからだ。

若いころなら他人よりも下手だったり、勝てなかったり、何か生産的なことにつながらないものはやりたくないという気持ちになったが、不思議と今の年齢になるとそういうことは気にならなくなり、新しいことをはじめる初期の成長が素直に楽しめる。

そして何よりも、前提としての健康。
努力しないとベストコンディションを保てないのが40代。
身体が調子悪いと思考が後ろ向きになる。

食事・睡眠・運動、全てを整える。
仕事がしんどい時も、酒に逃げないで体調を整える。
運動をしてポジティブな気持ちになる。

結局、「いきいきと生きる」みたいないかにもおっさんな言い方に落ち着いて愕然とするのだが(笑)、それでいいんじゃないかなという気持ちになっていたりするわけで。

いやー、こういうところは歳をとったと(笑)

日々悩みごとばかりだけど、それを楽しんでいる。
40にして惑わずといったもんだが、惑わないことはない。

ただ、変化をし続ける、変化を楽しんでいく、悩み事に正面から向き合っていくということにたいして、惑いはないように思う。

さてさて、10年後の僕は、40代をどう振り返るかな。

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