2012年1月22日日曜日

親は子供の強みを自分が潰している事にそろそろ気づくべき

親とは、自分の子供がまわりの子供よりも「劣っている」点を見つけると、平静ではいられないものだ。ついついアレはダメ、コレもダメ、アレはやったのか、コレはなんでやらなかったのか、何でできないのか、と、否定の言葉がついてでる。

必要以上に怒り過ぎたと自己嫌悪しつつもまた同じ事を繰り返す親もいれば、こうやってひとつひとつ「指導」していくことが親としての責務と疑わない人もいる。中にはそこまで考えず、単に自分にとっての不都合に対していらつき、感情をぶつけているだけの人もいるかも知れない。

ただ、多くの親は程度の差はあれ、教育とは「弱みをなくしていくこと」だと考えているように感じる。

子供の弱みをなくそうとすること。
僕は、これはとても怖いことではないかと思い始めている。

photo credit: Vince Alongi via photopin cc

なぜなら、知らず知らずのうちに子供に無力感を与えることになっていそうで。
そして、同時に子供の強みを潰してしまっていそうで。

「そうだよね、強みを伸ばすことの方が大事だよね」と言う人もたくさんいるだろう。
でも、それをどうやって実現するのかわかっている人、実践できている人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

仕方がない。大人でも、自分の強みを言えと言われてもぱっと言える人はごく少なく、弱みならいくらでも思いつくのにという人ばかり。

強みを見つけるきっかけが子供の頃にあったかというと、残念ながら多くの大人は弱みに着目した子育てや教育しか受けてきていない。だから、子供の強みを伸ばそうとしたって本質的にそれがどういうことかわかりようがない。

・・・そこで、今回は強みを伸ばす子育てについて本を読んだり考えたりしたところを記録に残しておこうと思う。どちらかというと、悩める親の一人としての反省という側面が強いが、同じように悩める親の皆さんの参考になれば幸い。


親の「失望」が子供の強みを蝕んでいく


まず理解しなくてはいけないことは、子供にとって最悪の事態というのは「親に失望されること」ということだ。大人でも他人から失望されることはとても嫌なことだと思うが、全ての家族・友人から同時に失望されるようなショックは滅多に起きない。

しかし、小さい子供にとっては親が全てだ。小学校に行くようになれば、親に加えて教師がその位置に座る。そのような、生活の中で圧倒的な権力を持つ親・教師から失望されることほど、子供にとって怖いことはない。

そして、残念ながら、学校教育には子供が親や教師に失望される「ワナ」が張り巡らされているように思う。たくさんの科目や生活面での指導項目が学校には存在する中で、全てが得意な子供はなかなかいない。そもそも「学ぶ目的」を子供が理解していない。

苦手な科目があったり、宿題をやらない・落ち着きがないなど生活面での指摘事項があったりすると、親は、(言い方のトーンは様々なれど)しっかりしろ、もっと頑張れという。

でも、目的を理解しないままに、ひとつひとつの「弱み」について「もっと頑張れ」というメッセージが降ってくれば、子供はそれを「失望」のメッセージとして受け止めざるを得ないのではないか。

子供たちは何を勉強するか、選ぶ権利を与えられていない。「良い学校に入るため」「いずれわかるから」という言い方をされて関心のない分野も含めて勉強をさせられる。良い成績を求められる子供たちは、苛立ちや不安から逃げられない。

勝ち負けや善悪に基づく教育モデルでは、弱みをなくすことにとらわれてしまう。それは、「苦手な部分をもっとよくすれば幸せになれる」という、欠乏モデルなのだ。

子供は、社会的評価を手に入れるために、背伸びして頑張り続けることなんてできやしないのに。欠乏モデルでは、焦り、怒り、孤独と隣り合わせであることを、親は理解しなくてはならない。

子供が親からの失望を感じてしまう機会は学校だけではない。習い事を通じても、期待通りの成果を出さない子供に対して親のがっかりする気持ちが伝わってしまうことも多々あろう。家庭内の家事・手伝いでも、しかり。

子供が、自分の興味の対象や強みについて聞かれることもなく、義務的にやるべきことを示され続ければ、やる気を失うのは当たり前だ。言葉にできなくても、子供は、自分の行動が重要な意味を持つような場所へ、親に導いて欲しいと思っている。

子供の言い分を聞かず、関心がどこにあるか考えられていない親は、そうした子供の期待に応えられていないのだ。

こうして、親が子供の弱みを克服しようと一生懸命になればなるほど、弱みの指摘による劣等感と、親に失望されたという疎外感により、子供に弱みが植えつけられていく。

弱みは、「もっと頑張って弱みを克服すれば未来は明るくなる」という希望のかけらの「ふり」をして、子供を蝕み続ける。

そして、年齢を重ねるとともに、不安になり、無力に感じ、何事にも目的を持てなくなり、クリエイティビティを失い、困難から立ち直る力を失っていく。子供が小さいうちは気づかなくても、徐々に弊害が表面化していくのだ・・・。

photo credit: Pink Sherbet Photography via photopin cc 

「褒めて伸ばす」ことの危険性


では、弱みに着目するのではなく強みを褒めていればいいのかというと、そう簡単な話でもない。

実は、褒めるのも怒るのも、「結果」に対して言っている限りにおいては、本質的には大きな違いはない。なぜなら、褒めようが怒ろうが、子供が親の目線を気にして動くようになってしまうことには違いがないからだ

たまたまこれに気づいたのは、当時小学校1年生の息子の、運動会の作文だった。スポーツ専門の幼稚園でもトップクラスの運動能力があった息子に対しては、小さな頃は褒めてばかりだった。最近は周りの子との差は埋まってきてはいるけれど、1年生の頃はやっぱり学年でもずいぶん足が速かった。

そして、かけっこで1番をとった運動会の後の作文を見て、僕はぞっとしたのだ。

息子が書いた作文は、本来書くべき運動会の感想ではなく、親向けの手紙のようだった。「ねえ、僕が1番になったの見てくれた?すごいでしょ!」といった言葉が繰り返されていた。

そこでハッと気がついた。運動に限らず、息子は褒められたいがために、うまく出来ることだけをやり、うまくできないことにはチャレンジしない性格になりつつあったことを。勉強も運動も、褒められるからやるのであり、自分のためという感覚を失いつつあったことを。

3ヶ月ほど前に見た、スタンフォード大学の心理学者による実験に関する記事でも、同様のことが書かれている。
・・・すると、努力をほめられたグループのうち90パーセントが難しいテストに挑戦しました。しかし賢さをほめられたグループは、ほとんどが簡単なテストを選んだそうです。
ドゥウェック氏によると、2つ目のグループは「頭が良く見られたい」ため、失敗を恐れて簡単なテストを選んだのではないかと結論付けています。
 

子どもが勉強を覚えるのが早いかどうかは、褒め方の違いにあり?/Pouch(2011・10・12)
基本的に、褒めるのはいいことだと思う。でもそれは、プロセスなり、チャレンジする姿勢に対してすべきものであって、結果に対して褒めるのには実はリスクが伴うことを知っておくべきではなかろうか。


強みを引き出すためには


そもそも強みとは何か、どうやって引き出すのかにについては、簡単に書ききれることではなさそうだ。僕自身、模索のまっただ中。

ただ、一つ言えそうなことは、強みとは、それをしていると活力がわき、生き生きしているような事柄なんだろうなということ。つまり、強みとは、才能や能力では必ずしもなく、もっと個人的であり、自分を力強く感じる活動そのものなのではないか。才能があっても楽しくなければ強みではないのではないか。

強みをそのように定義すると、強みの反対語は弱みではなくて、「消耗」である

個人の強みが活かされず、そのために元気が出ない活動をしているから、どんどんと消耗していくのだ。

では、親はどうやって強みを引き出したらよいのか。

これもはっきりとした答えは持ち合わせていないのだが、強みを引き出す指導力は簡単に見つかるものではなく、子供の理解や能力を引き出すことを諦めず、苦闘する中でしか産まれないものなんだろう。あるいは、そのプロセス、そのスタンスそのものか。

プレッシャーを与えても子供の性質を望ましい行動に変えることはできない。強みを引き出したければ、単に褒めたり自尊心を育てることではなく、成功と達成感を味合わせることが必要。

子ども自身が、強みを認められ、それが単なる方便ではなく真実として受け止められることに意味がある。強みは目的意識、連帯感、立ち直る力を生む。

自分の強みについて、教わるという受動的な態度ではなく、能動的な「気づき」というプロセスを経ること。人間は、相手に指摘されるよりも、自分で気がつく時のほうが変われる生き物だ。

では、そうやって能動的な気づきを親が与えられるかというと、これは本当に難しい。簡単に導こうと思ってもできることではない。大事なのは、質問し、話をよく聞き、注意深く観察すること。せいぜい、誘導し、閃きを助けること

また、簡単にラベルをつけてもいけない。ラベルは固定的であり、変化を止める。性格診断テストの類は、時に強みの発見を助けるが、変化を止めてしまうリスクもある。強みによって人生を変えるには、ずっと強みを追跡する習慣を持つことが必要だと思う。

・・・ここまで自分で書いていて、思う。

これは、苦しい。
苦しいという表現は不適切かもしれないけれど、我慢が求められるのは間違いない。

でも、その苦しさの中にしか答えがないし、この苦しさから逃げると、もっともっと大事なものを失ってしまうことになるのは、直感的に、目に見えている気がするのだ。逆に、この苦闘を超えた先には、とても満たされた世界が待っていそうな気もしている。

だから、安易な道には逃げないようにしたい。

親としてはまだまだ全然未熟だけど、苦闘することを放棄はしない。

これを2012年のテーマに掲げて、頑張ってみようと思う。

photo credit: ecstaticist via photopin cc

最後にお願い


ここまで、長い文章を読んでくださってありがとう。
だけど、最後にひとつ、お願い。

もしあなたが、ビジネスパーソンだったら、ちょっとやってみて欲しい。

上記の文を、「親」「教師」を「上司」に、「子供」を「部下」や「後輩」に、「学校」「勉強」を「職場」「仕事」に置き換えて、再読することを・・・

家庭も会社も類似点がたくさんあるなぁと、気づきの多い日々です。


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