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2012年11月26日月曜日

紹介:「世界の経営学者はいま何を考えているのか」入山章栄(英治出版)

読んでいてこんなに知的好奇心を満たされる本は久しぶり!

日本でのイメージとは大違いな、驚きに満ちた本場の経営学から、おもしろいところを厳選してエッセイ風に紹介してくれるのがこの本だ。

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア





経営学についてはすべてのビジネスマンが多かれ少なかれ関心を持つトピックなので、対象とする読者層は広い。

ただ、特に「本場の経営学ってこんな感じだよね」といった印象を多少なりとも持っているであろう経営コンサルタントやMBAホルダーの方が、知的好奇心を刺激され、新鮮な興奮が味わえるはずだ。




ドラッカーは実は「経営学者」ではなかった?


著者の入山さんは、ニューヨーク州立大学のビジネススクールで経営戦略を教えている現役の先生なのだが、個人的には大学時代の国際経済学ゼミの先輩でもあり、当時修士課程だった入山さんがロン毛をクールになびかせて教室に座っていた印象のほうが強い(笑)

大学を卒業してからはお会いする機会がほぼなかったのだが、ここ数年はtwitterなどではやり取りしていただいている。

そこで、2年以上前にtwitter上でこんなやりとりをしたことがあった。




そして今回の本の冒頭。
アメリカのビジネススクール教授の大半はドラッカーの本を「学問としての経営学の本」と認識していないという話から始まったのは「ニヤリ」としたわけだ(笑)

経営学とは社会科学という学問領域の一つで、経営理論分析に基づいて得られた理論仮説を、実証や調査分析を経て検証していくもの。

ドラッカーはそうした科学的なやりかたをしているわけではない。
ドラッカーは経営学に対して重要な示唆を与えたことは紛れもない事実だが、ドラッカーの「名言」は科学ではない、というわけだ。

特に、日本の経営学は、海外で主流の「理論仮設を立て、それを統計的な手法で検証する」というスタイルではなく、「1社1社を丹念に観察するケーススタディーを通じて法則を引き出そうとする」スタイルのものが多いため、日本人とドラッカーの「名言」とのフィット感はよいのだろう。



経営学のフロンティア


では、ドラッカーが経営学ではないとしたら、海外の経営学のフロンティア領域ではではどのような研究が行われているのか。
それを分かりやすく説明したのが、本書だ。

経営学は、社会科学になることを目指して経営の「真理」を少しでも導き出そうと、統計手法を駆使して研究者が頑張っている発展途上の分野だ。

以下のようなトピックが、そのようなアプローチでの研究結果に基づいて平易に解説されているのだとしたら、ワクワクせずにはいられないでしょ。


PART1 これが世界の経営学
第1章 経営学についての三つの勘違い
第2章 経営学は居酒屋トークと何が違うのか
第3章 なぜ経営学には教科書がないのか

PART2 世界の経営学の知のフロンティア
第4章 ポーターの戦略だけでは、もう通用しない
第5章 組織の記憶力を高めるにはどうすればよいのか
第6章 「見せかけの経営効果」にだまされないためには
第7章 イノベーションに求められる「両利きの経営」とは
第8章 経営学の三つの「ソーシャル」とは何か(1)
第9章 経営学の三つの「ソーシャル」とは何か(2)
第10章 日本人は本当に集団主義なのか、それはビジネスにはプラスなのか
第11章 アントレプレナーシップ活動が国際化しつつあるのはなぜか
第12章 不確実性の時代に事業計画はどう立てるべきか
第13章 なぜ経営者は買収額を払い過ぎてしまうのか
第14章 事業会社のベンチャー投資に求められることは何か
第15章 リソース・ベースト・ビューは経営理論といえるのか

PART3 経営学に未来はあるか
第16章 経営学は本当に役に立つのか
第17章 それでも経営学は進化しつづける


個人的には、「組織の記憶力を高めるためにはWhatよりもWho knows whatが大事」というトランザクティブメモリーの話や、イノベーションを起こすための「知の探索と知の進化の両利きの経営」といったトピックは、いまの会社の経営にも参考になり、とても面白かった。

また、最近は社会心理学者の山岸俊男先生の著作を、アメリカのWebサービスが日本でそのまま受け入れられない理由を考える上で参考にしていたのだが、その先生の研究が海外の経営学で取り入れられているという話は、我が意を得たりという感覚を持ったし、社会心理学の研究をも取り入れて進化している経営学の奥深さにもグッときた。

MBAで学んだ知識のリフレッシュになる章もあり、読んでいて飽きない。

どの章も、割りと知られた常識の話から始まり、現在の「知のフロンティア」の紹介で終わるという流れなので、さらにその背後にある世界の「経営学の知」がいかに膨大かを感じられて、とてもワクワクするのだ。



経営学の限界とその向こう側


昔MBAブログを書いていた時、こんなことを書いていた。


MBAには最先端はないのだ。おもしろいと評判になる授業は各授業に関連する業界の「最先端」にいる人が教授と一緒に教壇に立つ授業だったりする。生徒の視点からすれば、他業界の最先端ってこんな感じかなって雰囲気は掴めても、それを修得するなんて全くできないし、同業界から来た生徒であれば完全に時代遅れの話にしか聞こえないこともある。

まあ、教授の授業よりは現場の人の話の方がおもしろいとは多くの人が持つ感想だろう。

ただ、「おもしろいということと、真理に近いかは別の話」であるし、教授からしてみたら初歩的な理論を教える授業の裏側ではその何倍もの時間を使って最先端の研究をしているわけで、ちょっと狭い見方をし過ぎていたなぁと今になって恥ずかしかったりする(苦笑)


今回久しぶりにMBA時代のマテリアルを読み返してみたら、当時理解できていなかっただけで、割りと最新の理論についても触れていたのを今になって理解でき、自分の能力不足に残念な思いをもったりする。

そんな意味でも、過去に一定程度経営学や経営の理論フレームワークについて触れたことがある人にこの本は強くオススメだ。

そしてこの本のスタンスというか「良心」は、Part3の「経営学は本当に役に立つのか」「それでも経営学は進化しつづける」の二章に現れている。

経営学や、あるいはその中の一派の原理主義的になりがちなのがこの手の本だと思うのだが、どの章も中立的な議論になるように配慮されている。

そして、面白い理論への偏重や平均に基づく統計手法の限界など、経営学の限界についてもとても率直に書いてある。

だからこそ、まだまだ発展途上の経営学の未来が楽しみにもなる。

確かに現時点では、経営学は科学としては弱い。
いくら統計的な手法を用いているとは言え、広い人間の営みを演繹法的に導き出すには限界がある。

でも、だからこそ、知的な楽しみがある。
経営学の標準がこうだ、という話と、経営学で言っていることは正しい、という話にはまだまだ乖離があるのだ。

経営学を知って楽しいのは、知識があることで現実世界を見て驚けるからだ。
知識がなければ、世の中の動きが理論通りなのか理論と違うのかの判断もつかず、驚くことができない。

ぜひ、経営学という文脈での教養を身につけて、より一段高いレベルでの知的な楽しみを持とうではないか。


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